黒い猫が一匹、路地の隙間を駆けていく。


嫌なことだけよくあたる天気予報、おかげでこの路地から心身ともに冷気が沁みてくるのが指先から、つま先から順に痛いぐらい伝染してくる。
見上げると赤褐色の脆い非常階段の間に青く光る月が隠れている。

武器を握る手をたまらず放し腰に収め、男は両手を顔の前で重ね吐息をかけた。 温もりを感じたはずの掌はたちまち吐息の水分を冷やし、数秒で痛さが指先を切り裂く。

もう一度空をみるとあいかわらず冷たい月が階段の手すりにしがみついている。



ふいに携帯を眺めてみる。

こちらも常に省エネモードの待ち受け画面。スーツに入れていたおかげでその場凌ぎのカイロとなる。
何気に画面を変えると規則正しく秒読みをするデジタル表記。着信履歴には上司と同僚。それとメールが数件。
終わった指令は今となってはつまらなくて、画面を待ち受けに。
そして使用期間の切れたカイロはまた元の場所に戻され、数分後に期待する。


「…………寒いって……、本気で。」


悪い事を口にするともっと悪くなるって誰かに言われたっけ。

男は物心をついていたころから盲目的にこの言葉を信じていたが、今宵の寒さは信念さえもへし折った。
この言葉を合図に途端に何処からとも無く隙間風が狭い路地裏を抜けていった。


Pi、Pi、Pi、Pi……!


夜の世界を割るように着信音が響く。待ってましたとばかりに悴む指で携帯を取り出し落としそうになりながら電話に出る。
任務の合図。打ち合わせ通り町中のネオンが消えイルミネーションに切り替わる瞬間に決行する。

携帯を閉じるころには指先には冷気に打ち勝つ緊張感が通いこのまま黒の柄に移る。
今回の任務も切り込み役に任された男は静かにロッドを額に当て瞼を閉じる。

呼吸を深く一つ。

数分前か、数秒前か。黒い猫が月を取りに音も無く錆びた階段を上がっていく。

目を開き、切欠の画面をもう一度開いて向かいの通りの壁に待機しているレノにワンコール。

計画通りに町は灯りが落ち、数秒の闇中に二つの影が動き出す。



一本のアンテナは電波を通じて冬の海に波紋を広げていく。



2005/12/12
近所の某電話会社のアンテナが寒い中でも 寂しく光ってるのがコンセプトです。
おかげで電話が使えます。感謝です。